こんにちは、
ミニマリスト5年目、97年生まれの僕です。
僕はミニマリストに関する記事を発信しています。
今日も記事を見に来てくださっているあなたにミニマルかつシンプルに情報を発信します。
と、言いたいところですが、今日は「ミニマリスト」全く関係ないです。
昨年の4月に新卒として入社した会社を辞めることになりました。
たった1.5年で会社を辞めることになった僕に対して、
「一生懸命就活をして入った会社を簡単にやめるなんて…」
「『石の上にも三年』という言葉のようにもう少し続けてみることもできたんじゃない?」
ということを言ってくれる友人は一人もいません。
むしろ、
「全然びっくりしない」
「またなんか言ってやがるな」
「次は何するの?」
なんて言葉しか聞かなかったです。
ほとんどの友人が僕が会社を辞めることに対して、ポジティブで、びっくりも心配もせずにそんな言葉をかけてくれています。
今日だって部署の方にも言われました。
簡単に会社を辞めていく人間みたいに思われるのはちょっと悲しい。
なので、この記事でちゃんと意思表示をしておこうと。
僕自身、物事は最後まで徹底的にやりたい性。
中途半端なことはしたくないし、1.5年で会社を辞めるということにかなり戸惑いはありました。
ただ、色々なことを考えた結果で今回の決断をしました。
今回の記事では
- なぜ会社をやめたか?
- 次は何をするのか?
- 僕の描く将来は?
ということを中心に記載しながら、「97年生まれの僕」が自身を勝手に語る記事です。
いつもミニマリストに関する記事を楽しみにしてくださっている皆さん、今回だけは許してください。
さらにこの記事は、
僕の備忘録として。
そして、強い決意の証として。
そして、お世話になった方々へ伝える「決意表明」として。
という意味も込めて作成しています。
この記事を読んでいる「あなた」がどんな人であれ、何かのきっかけになることを保証します。
では。
一生懸命就活して入社した会社
「97年生まれの僕」は2020年卒の就活を経て、昨年の4月に新卒であるIT系の会社に入社することになりました。
大学の頃から興味のあった分野と市場規模が大きな業界のIT会社ともあって入社の思いは他の会社よりも強く、第一志望の会社でした。
ただ、正確にいうと「第一志望」と言っていた。です。
第一志望としていた一番の理由は今考えたら特になく、
「オフィスカジュアル出勤だから」
だったかもしれないです。
就活終わった時の友人との会話で「オフィスカジュアル」っていうワードを連呼していた気がします。
そんなふざけた理由とは裏腹に
「ITという手段を使って働いている人をサポートする」
ということに魅力を感じている僕もいました。
「働く人をサポート」への魅力
僕の父親は地元の消防局に勤めていて、朝早く出勤して次の日の午前中に帰ってくる24時間勤務を30年近く続けています。
平日・休日、年末年始なんて関係なく、毎年食卓で「今年の正月は仕事?」なんて会話があるくらいです。
そんな父親は休みの日や仕事後の昼から僕の野球の試合を見に来てくれたし、夏休みにはキャンプも連れていってくれました。
また、「平日の昼間に父親がいること」が僕にとって周りの友達にはない唯一の特権で、本当に幸せでした。
ただ、土日・休日休みがあたり前ではないので大切な試合に来れなかったり、めちゃくちゃ活躍した試合のフェンスの裏には父親がいなかったりと少し悔しい思いをしたのを覚えています。
そんなこんなで、
僕に限らず、世の中のお父さんの「できない」「もし〇〇だったら…」の根本的な原因は仕事にあることを幼いながら感じていました。
そのエピソードを就活時に思い起こし、「こんなことが目的だったら仕事を続けられそうだな~」という漠然としたテーマが見つかりました。
「世の中のお父さんたちの仕事をもっと楽にして、大切にしたい時間を捻出してあげる」
です。
消防士やその他の24時間勤務をしているお父さんを救うことはできないけど、
夜遅くまで仕事をして、終電ギリギリに死にそうな顔をして電車に乗っている世のお父さんを一人でも救ってあげたいなと思いました。
お父さんのみならず、レガシーな環境でいつまでも非効率な現場で働いている人の労働環境を変えたいな。なんてことも。
そんなことを僕の行動の先で叶えられるのならば、それでいいやって思ってました。
第一志望への内定
目指していた企業への内定をいただいた時は本当に嬉しく、喜びました。飛びました。
あの時、アルバイト中に電話が入っていて、休憩中に折り返しの電話をしたんですよね。
選考活動の頃からお世話になっていた人事の方が電話越しに、
「一緒にお仕事をしよう」
という言葉をかけてくれた時は本当に嬉しかったです。
会う人会う人に「内定をもらった!就活が終わりました!」と報告しました。
「オフィスカジュアル」ということもしっかり。
そのあとのアルバイト勤務時間は上の空でしたね。
何度も提供するコーヒーをこぼしたのを覚えています。(笑)
社会人「僕」の1.5年間
4月に入社してから夏までの新入社員研修を経て、本配属。
配属先はとてもニッチな分野を取り扱う部署でした。
ニッチすぎる分野なため、竹内まりやも納得の毎日がスペシャル。
変わったことが大好きな僕には本当に楽しいことばかりで、学ぶことが多い日常でした。
何よりもやる気に満ち溢れていたし、部長も僕のすること成すことをどんなことも受け入れてくれました。
僕の行動や発言・考えが部長にとっては毎回新鮮だったらしく、「私自身も勉強になりました」なんて言葉も。
それが嬉しかったり…。
その言葉が毎回の目標にもなっていたり…。
とにかく必死に自分がしたいことをやる。そして、「誰にも似ない自分を見せつける」ことで必死でした。
自分で言うのはおこがましいですが、「辞める」という事実を知った時に周りが「え!?〇〇(←僕)が!?」とびっくりされるくらい積極的に行動する社員でした。
部署のメンバーの方々はニックネームで僕を呼んでくれるし、僕を一人の仲間として認めてくれていたのだと思います。
いい意味で仕事っぽくない。
嬉しかったです。
幸せな1.5年間だったんだなと思います。
なぜこの会社を辞めることにしたか?
ここからが本題です。
意欲的に仕事ができる。
やりたいことができる。
そんな会社・環境をなぜ手放すことにしたのか?です。
1.5年間で明確になった「なりたいキャラクター」
1.5年で日々の仕事やプライベートでのブログ運営などを通じて
こんなキャラクターになりたいなというカタチが見えてきました。
これを成し遂げたい!という大きな具体的なビジョンではなく、
あくまでも「キャラクター:こんなことができる人間」というもの。
それは
「目の前にある問題をキャッチして、解決策を的確に差し出せる」
そんなキャラクターになりたいな。と思ったのです。
これの先って
「問題を解決したその成果として、報酬を得る」
があって、
それは、ビジネスの「核」であって、いろんな企業のビジネスモデルにも当てはまるものです。
例えば、
「暖かい服が欲しい」という人のウォンツに対してユニクロはその人にヒートテックを届ける。
「サードプレイスのような場所で一杯のコーヒーを味わいたい」というお客さんに対してスターバックスはコーヒーだけじゃなく、特別な体験をメインに提供する。
その対価として利益が生まれる。
のように。
このブログ活動も一緒で、ある意味ビジネス。
「ミニマリストの〇〇について知りたい」という社会のリクエストに対して
その内容が分かる記事を作成して公開する。そして広告の収入や物販で報酬を得るという仕組み。
このように、どんな企業・ビジネスにもこの「核」が存在してると思っています。
そして、
このブログの執筆活動は問題を探す・見つける・分析することが常にあります。
それが苦ではなかったですし、むしろ楽しいから今日の今日まで継続しています。
実際に働いていた社内でもそういうことをしてきて、解決策を具現化して展開してきました。
このような経験から、より一層このキャラクターに近づきたいなと感じました。
ビジネスの「核」を知りたい、
体感したい、
そういうキャラクターとして仕事をして、キャリアを形成したいと考えたのです。
目標のキャラクターと今の会社
そして、問いました。
「今の会社はそのキャラクターに近づけるか?」
「そのキャラクターに近づける道筋は明確にあるか?」
「その姿になる最短ルートはあるか?」
答えは「No」でした。
会社が良い悪いとかいう話ではなく、会社の状況や制度がその質問に満を持して「Yes」とは言えないのでは?と思っただけ。
ただそれだけの話です。
誰かにとってはとても嬉しい制度・仕組みや状況であっても、僕にとっては違ったというだけです。
強いて挙げる会社の愚痴
「退職したい」と自分の部長にお伝えしたときに、
「何か会社に悪いところはあった?」
という部長からの質問。
「全くないです。なりたいキャラクターになるためのキャリアチェンジです。」
という回答をした気がします。(僕自身が部長以上に気が動転していて、何を伝えたかもう忘れた)
これではただの良いヤツ。
つまらない人間になってしまうし、これから自分が長い社会人人生を歩んでいくうえでの教訓にしたいので、最後くらいちょっとした愚痴を記します。
愚痴は1つ。
「最後の最後までミッションを理解して仕事ができなかった」
です。
どの会社にも、どのチームにも、どんな人にも必ずミッションがあります。
「利益率3%増」や「発注単価を〇〇円/件 上げる」など。
しかし、
僕は何をすればミッションクリアなのか、
どういう状態がチームの成功なのか、
ゴールは何かを理解しながら働くことができなかったのです。
ミッションを理解したときもありましたが、
自分はそのミッションを叶えるプレイヤーとしてどんな手段を使って、何に向き合うべきなのか理解できなかったです。
ましてやコロナ渦で企業がいろいろなミッションチェンジをしている中で、
「この現状から回復したときにいち早くがスタートを切れるように持ちこたえましょう」
なんていうミッションでは何をしたら良いのかさっぱり分からなかったです。
必ずミッションを掲げる。
ミッションを達成するための手段を明確にする。
それを口酸っぱく共有する。
あたり前だけど、なかなか簡単にできることではない。
だけど、できたら最強。
僕がいつも最後に負ける、憧れるチーム・人ってこれを成し遂げていました。
シャークも、ベアーズも、森田くんも、今村くんも。
なので、これが明確に欲しくて、欲しくて、たまりませんでした。
1番の悔しさ
一番悔しかったことはついこの間。
同じ部署の一つ下の後輩に自分が担当していた業務を引き継いだ後にふと、こう思ってしまいました。
「自分が担当していた業務はたったこれだけか」
業務のウェイトの感覚なんて人それぞれだし、多いから良い。少ないから悪い。なんててことはないと思ってます。
悔しさはそこではありません。
「もっとやれた」
でした。
こんなに時間があったのに。
こんなに自分で進んで物事を吸収しまくったのに。
結果として見えていたものはたったこれだけだったか。
と思ってしまいました。
きっともっとやれた。もっと何かできた。
そんなことを思うと後悔がだんだん大きくなってきました。
「退職するときに言い残したことを明日までに考えて教えて」と言われたら間違いなく上で述べてきた愚痴と後悔をお伝えしています。
ほんとにこれだけです。
そのほかの会社の制度や同期社員、会社の思想、事業内容、歴史、クレドなど全てが本当に好きでした。
決断し、いま思うこと
何かの選択や決断をするときに過去に同じような体験がなかったか?と振り返ることがよくあります。
振り返ると、
高校・大学入学の選択、新卒で入社する会社の選択などが同じような体験だと振り返りました。
しかし、大きな違いがありました。
それらにはリスクはなかったし、背負っているモノはゼロでした。
この「退職」と「転職」に関しては大きなリスク・背負っているものがありました。
・本当にこの恵まれた環境を手放せるか?
・働くうえで大切な仲間から遠ざかるのか?
・エンジニアとして着実に成長できる。それを手放すか?
・大きな基盤で仕事ができる。それを手放すか?
などなど。
生まれて初めて「これが分岐点なのだ」と感じました。
今まで分岐点は二つの選択肢から一つを選択することだけのように思っていましたが、違いました。
目の前に二つの道と小さな看板があるのは「分岐点」なんてものではなく、ただの分かれ道。
背負ってきたリュックも服も身に着けたままどちらかに進むだけです。
しかし、本当の分岐点は
「選択するうえでいくつものリスクを考え、負い、一つに選びきること」
なのだとわかりました。
今回の選択が本当に正しい選択をしたのか分からないですし、やってみて気づくことだらけかと思います。
それに正直、不安で夜も眠れないです。
ただ、心の中にいる「リトル僕」はこの状況が楽しみで仕方なく、興奮して、うずうずしています。
本当に何なんですかね。
1日に2人分の意識で生活しているようで気持ちが悪いです。
伝える「決意表明」
この記事を「お世話になった方々へ最後に贈る『決意表明』」ということを冒頭でお伝えしたので、自分らしくブログでお世話になった方にメッセージ。
(多分この世にブログで最後の一言をいう社員なんていない)
- 圧倒する
- 誰にも似ないキャラづくり
- 素直でまっすぐに働く
この3つを達成するため、もがきながらも1.5年働けたかなと思います。
3つのうちはじめの2つを見たら、ただのプライド高いヤツじゃん。
となるところを「素直でまっすぐ働く」を意識したことで失敗を失敗と認める力、成長できるマインドも保てたかなと思います。
そして、
「初志貫徹」
に沿って、思ったことを最後までやり通しました。よね?
誰かがやるべきことを僕自身がやり通しました。よね?
「世の中のお父さんたちの仕事をもっと楽にして、大切にしたい時間を捻出する」
僕が関わっていた仕事のどこかで叶っていたら、僕は僕自身に金メダルをあげたいです。
本当に最高でクールな会社・部署メンバーの方々、そして二度とできることのない素敵な同期に恵まれ働くことができました。
僕自身を表現するための多くの「#ラベル」を身に着けて、数段と成長してまた会いに来ると思います。
「これからも」どうぞよろしくお願いいたします。
あとがき
このあとがきにたどり着くまでに6000もの文字を使って今の思いとこれからのこと、最後に言いたいことを綴ってきました。こんなにも感じることや考えたことがあったのだと僕自身驚いています。
きっと1.5年を誰よりも倍速で走って、生きてきてたんだと思います。
最後に。
ラスト出勤日を明日に控え、尊敬する先輩と2人、オフィスの1階のカフェで20分だけあったかいラテを飲みながら、「これを伝えたかった」と最後にその先輩が話してくれました。
「人生を80年として、それを24時間の時計に置き換える話知ってる?」
なんか聞いたことあるような、ないような。
「君はまだ20前半で、時計に換算したらまだ朝の6時を過ぎたころ。出勤もしていなければ、起きているかも分からないよ」
そんなことを伝えられました。
「この話をするのは本来『出勤する頃』にいる人がベストなんだけどね」
なんて、たった1.5年の社会人経験の分際の僕に話してくれました。
僕はいま、
たくさんの睡眠をとって、
成長ホルモンを分泌して、
睡眠で失ったありったけの水分を補給して
「よし、やるか」
なんていう段階なのかも。
下手したら出勤する会社も職業すら決まってないかも。
「会社行きたくないな」なんて言って自分で仕事をはじめてしまうかも。
いろんなことを考えました。
僕はこれから
顔を洗わないといけないし、
シャワーを浴びなきゃで忙しいです。
朝はあわただしいし、食事をしている暇なんてあるかな。
さあ、
家のドアは何時何分に開ける?
ランチは何時にする?
残業する?
何時まで起きてる?
僕が一番楽しみ。
僕は何者になるんだろ。
夜21時。カフェでこの6599文字を読み返していたら、涙が。もうおしまい。
2021年10月28日 97年生まれの僕