稲盛さんがいなくなることと、好きな哲学|2022/9/6 日記

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09/06/2022

ん?まだ秋は来ないのか。

先週見た天気予報め、嘘つきやがって。

しっかりと暑いじゃないかな。

 

 

6:30に目が覚める。

昨日成田から帰ってきた23時過ぎ頃、カップヌードルを食べたので胃が少しもたれてしまい、朝からトイレに通った。

カップヌードルを食べたのは、数ヶ月に一度にやってくる「カップヌードルが食べたい衝動」より。

この衝動は昼夜問わずに、突発的にやってくる。

それが昨日であった。

だたそれだけの話。

普段コンビニに行って、カップヌードルの前を通り過ぎてもなんとも思わないのに、この衝動がきた日には一目散にあの棚へ向かう。

いつ食べても美味しいし、百福さんのストーリーを思い出す瞬間もこの時である。

 

 

 

8/24。

この国を代表する経営者の一人 稲盛和夫さんがに亡くなった。

急にこんな話をするのはいつの日か勤めていた会社にその人が携わっていたこともあって、「へー」などと無関心でいられない訃報だったから。

久々に稲盛さんについて考えてみようと京セラのHPにある 稲盛和夫オフィシャルサイトを覗いてみた。

あーこんなフィロソフィ(哲学)もあったな、なんて思い出しながら眺める。

 

僕が好きな稲盛さんのフィロソフィは

大胆さと細心さをあわせもつ

大胆さと細心さは相矛盾するものですが、この両極端をあわせもつことによって初めて完全な仕事ができます。

この両極端をあわせもつということは、「中庸」をいうのではありません。ちょうど綾を織りなしている糸のような状態を言います。縦糸が大胆さなら横糸は細心さというように、相反するものが交互に出てきます。大胆さによって仕事をダイナミックに進めることができると同時に、細心さによって失敗を防ぐことができるのです。

大胆さと細心さを最初からあわせもつのは難しいことですが、仕事を通じていろいろな場面で常に心がけることによって、この両極端を兼ね備えることができるようになるのです。

3.正しい判断をする より

 

稲盛さんがこのフィロソフィを語る上で“「中庸」ではない”。つまりは、過不足なく調和のとれている状態ではない。と記したところが個人的に好きだ。

バランス良く。ではなく。

右をみたり、左をみたり。でなく。

どちらか一方向に偏りがあったうえで、その道中で気遣う心、あるいは野心を持つべきだ。と表しているのだと個人的に解釈している。

「少しでもいいから、断片的でもいいから、いまの思いに反した、または補いの考えをもって向き合いなさい」そう言われているような。

“利他主義”が印象的な稲盛さんらしいフィロソフィ。

野心を兼ね備えている稲盛さんらしいフィロソフィ。

それが合わさったような考えかな気がして、好きだ。

 

 

昨日食べたカップヌードの生みの親 安藤百福さんも稲盛さんも、今の時代こそいてほしい人たちがどんどんこの世を去ってしまう。

ころっと世界を変えられてしまうような人が。

仕事の楽しさを、

人間らしい価値観とはなにかを直に伝えてくれる人がいなくなってしまう。

偉大な人が一人ではなく、大勢生まれたこの国で、今を卑下することなく残りの期間過ごしたい。

09/06/2022

 

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