09/10/2022
昨夜、自宅に着いたのは0時を回った頃。
それからシャワーを浴びて、日記を書いていたら2:30くらいになってた。
土曜はなんとしてでも早起きをして、長い休日を確保したい。
そう自分に言いかけて、7:00にアラームをかけて眠りについた。
起床は6:30だった。
圧倒的睡眠不足ももろともせず、身体は完全にスタンバイ状態。
布団の上でパソコンを開いて作ってみたかったモノに取り掛かったり、それからいろんなメディア、Pinterestを徘徊していた。
7:00に鳴る予定だったアラームも事前に止めておけるほど余裕な朝だった。
同居人が起きてきて、
「起きてたんだ」
「うん」
「おはよう」
「おはよう」
そう挨拶を交わしてから我が家の朝は始まる。
上京してから7年間、ずっと一人暮らし。
家にいて「おはよう」と発することにやはり違和感はある。
この生活が始まってから1ヶ月経っても恥ずかしい。
ただ、大半の人が味わうことができない心地よい朝なんだと思う。
今日はタスクがたくさんある。
朝から土日営業している郵便局へ行って売れた品を発送しなければならないし、古着屋で回収してほしいアイテムを引き取ってもらわないといけない。加えて、役所へ行って小型家電を回収してもらう。
そして、また同居人がやっているキャンペーンの梱包業者を務めなければならない。
さらには上半期に一度開催している持ち物点検もして、昨日公開された「百花」を見に行かなければならない。
プロの“プライベート充実家”の休日は実に忙しい。
同居人のタスクもあるので、お互いの予定をあわせるためスムージーを飲みながら作戦会議。
「きっとお腹が空くだろうから、駅前でパンでも買おう」
「であれば、きっとこれくらいの時間に家を出たほうがいいね」
「うん、梱包資材はいつ買う?スーパーの買い出しの前?それとも後?」
「あー」
てな感じでパニクることもある。
ベンチャー企業の会議室並に多要素の物事を一斉に動かそうとしがちなのだ。
一日中晴れていた
諸々のタスクが終了し、帰宅してからパンとコーヒーを飲みながら休憩した。
その後は所有物の再点検。それから映画を観に行く。
#持ち物再点検中#ミニマリスト pic.twitter.com/FL4JrVzOa9
— 97年生まれの僕はミニマリスト|編集長&ブロガー (@97boku_blog) September 10, 2022
観に行った映画は9/9公開の「百花」。
『告白』『悪人』『モテキ』の制作、小説『億男』『四月になれば彼女は』の著者としても活躍する川村元気さんの最新作。
思ったこと、考えたことの備忘録として書き留めておこうと思った次第。
—
「僕は右目と左目の形がかなり違っているんですよ。右目が左目よりもつり目だから鋭い役や不気味な役を演じる時は右顔を、温厚で柔らかい役を演じるときは左顔を見せるようにしてます」
何かの番組だったかインタビューだったかは忘れたが、菅田将暉さんがそう告白したのを覚えてる。
このことについては演者である彼から現場の監督へ取り合うことがあるそうだ。
その事実を知ってからという映画鑑賞は、彼が映る方向を意識して見入ってしまうようになった。
今回観た「百花」は、
菅田将暉演じる主人公・泉が認知症になり徐々に自分のことを忘れていく母・百合子(原田美枝子)と向き合うことからストーリーは始まる。母が記憶を失っていくことに比例して泉は母との思い出を巡らせていく。ある出来事が起きてから意識的に封印していた記憶も蘇ることに…。「愛」と「記憶」と「親子」を美しく表現したヒューマン映画だった。
僕は上のような内容であることはもちろん承知の上だったので、母を思う気持ちと優しい心を投影するためにも彼の左顔が映る時間が多いのかなと予想してた。
しかし、
115分の映画のなかで映す出されるのはほとんど彼の右側。鋭い役、不気味な役でもないはずだがほとんど右顔だった。
しかも、
決まって母と向き合うシーンは右側から観た彼。
左顔が映し出されたときが2度ほどあったが、母が診断された後でその目の前に母がいるシーンはない。
壊れていく事実に向き合う間だけこの方向だった。
かなりの確率でそうであったので、この映画も意識されたものだったのではと思った。
ただ、つり上がった目からは鋭さや不気味さと言った負の印象は感じられない。
母の記憶が失われていくことと、過去の出来事を想い起こしてしまうこととへの哀愁と苦しみに耐える“辛さ”の示しだったのだと思う。
観ているこちら側の人間、かつ僕が息子という立場であるからこそ照らし合わせて観入ってしまい、心が時間をかけてぎゅーっと、ゆっくりと締め付けられているような気がして止まなかった。
また、泉の妻である香織(長澤まさみ)が妊娠しているという設定もすごく重要。
現代風の価値観を持った香織の発する言葉にもひとつひとつ意味があった。
これから見ようと思っていた人、そして未来で見直す僕は抑えて置いたほうが良いポイントだと思う。
終盤、
母を目の前にして泉の顔が左から写し出されるシーンがある。
それは、「記憶」と「愛」と「親子」というキーワードの全てが映画の中で完結するとき。
左から写し出される彼の表情の中でも、母を見る“目”は静穏さ・優しさがあり、美しかった。
すべてを受け入れたように、落ち着いた“目”をしてた。
息子は決して母から離れない。
そんな定めを美しく、そして僕たち人間にとって大切な「記憶」というテーマに沿って息子と母の立ち位置を一途に追った丁寧な映画だったと思う。
とにもかくも、彼の左顔が映るシーンは映画のなかでとても重要なシーンであることは間違いなかった。
よね?未来で見返す僕?
映画ポスター
最後に。
映画のプロモーション動画が色々あるのだが下のものをぜひ観てほしい。
阿川佐和子さんと石原良純のコメントは理解できすぎて、頷き過ぎて、首がもげそうになる。
映画プロモーション動画
試写参加タレントインタビュー
ぜひ、劇場へ。
次に僕は小説を読もうと思う。
09/10/2022
今日もカレー。ゴーヤとオクラ、バジルの葉が大きくなったのでそれも追加した。
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