僕らが「結ハラ」を受ける理由について考えたので、一緒に考えて|2022/10/21 日記

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10/21 /2022

起床は8:30だったと思う。

母と父は既に起床していて、目覚めが早いなと思ったのは覚えている。

台所では炊飯を終え、母がフライパンにオリーブオイルをひいて朝食の準備をしていた。

今日から食べる白米は新米だそうだ。

これまでずっと玄米を食べていたし、糖の甘みを相まってより美味しく感じられるだろう。

鮭の塩焼きと卵焼き、納豆、それといくら漬けをご飯にのせていただいた。

「北海道に帰ってきたんだな」

そう思った。

 

 

朝食後、スマホでメールを確認する。

昨日返信対応をしていた相手から続々と返事が返ってきており、今日から少しずつ作業を進めないといけないなと思いつつも、その現実から目を背けるようにしてブックマークにある「お気に入りメディア」に一通り目を通す。

ただ、案件の着手を先延ばしすることはよろしくないので、メッセージを1つ1つ返すことにした。

「〇〇日納品予定で対応します。よろしくお願いします」

というか、居候生活の退去準備や姉の渡航のサポート時期に忙しくならなくてラッキーだったな。

あの期間に色々と抱えてしまっていたら、デスクはないし、作業環境もないしで対応どころではなかったなと思う。

また、真摯に記事執筆に向き合おうと思う。

 

 

11:00。

母)「この本と服たちを売りに出して欲しい」

との依頼を受けたので、午前中にブックオフへいくことに決めた。

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買取してもらう本たち

服は7着、本は25冊ほどスーツケースに詰めた。

村上春樹さんの「ノルウェーの森」があったので、1ページだけ読んでみた。

僕は三十七歳で、そのときボーイング747のシートに座っていた。その巨大な飛行機はぶ厚い雨雲をくぐり抜けて降下し、ハンブルグ空港に着陸しようとしているところだった。十一月の冷ややかな雨が大地を暗く染め、雨合羽を着た整備工たちや、のっぺりとした空港ビルの上に立った旗や、BMWの広告板やそんな何もかもをフランドル派の陰うつな絵の背景のように見せていた。やれやれ、またドイツか、と僕は思った。
飛行機が着地を完了すると禁煙のサインが消え…

「ノルウェーの森」書き出しより

僕は小説を読むことのない人生だったので、最近になってようやく意識的に読むようになった。

小説はとても良い。

モノを正確に伝えるための「解像度上げ」のトレーニングになるし、なおかつ不足しすぎている教養を身につけられる。

村上春樹さんの本はどれも分厚い本ばかりで、初っ端から嫌悪感でいっぱいだったがこうしてみるとおもしろいかもしれない。

ちなみに最近読みはじめた本は↓のもの。知人に勧められて読み始めた。

 

帰宅してからは、母の書類/契約関係のお手伝いと僕自身のモノの整理をした。

それと、住民票の登録に必要な書類の整理、調べ物をした。

 

 

17:00。

頼まれていた炊飯を済ませて、自分の作業にうつる。

継続して発注してくださっている案件と新しく獲得できた案件の両方のレギュレーションを確認して記事の構成を考えていたが、なんせ久々の執筆作業ですんなりキーボードに手が伸びるはずはなく、永遠に構成がまとまらない。

明日はゆっくり時間を取れそうなので全集中で取り掛かろうと思う。

 

 

それからはずっとYou Tubeで「変わる報道番組#アベプラ」を見た。

先日の国葬についての問題や普天間基地移設問題などの今起こっている社会問題についてひろゆきさんや成田 悠輔さんとその問題の関係者が討論しているタイトルを中心に鑑賞した。

感想としては、関係者側があまりにもひどすぎた。

事実を確認したい質問に対して「でも、」という文頭からはじまる返答をするし、3回に1回は論点ずれが起こる。

さらには「当事者じゃないから引っ込んでくれ」などといってそもそものディベートの大前提を覆す発言もある。

対して、ひろゆさん側の発言や会話の整理、解釈は的確。

なにも僕がひろゆきさんたちを推しているとかいう話じゃなくて、客観的に見て明らかに関係者たちの討論する姿勢の欠如が露呈していたと思う。

 

※鑑賞したタイトル

【国葬デモ】ひろゆきvs発起人の議員「安倍政治の美化に反対」

【混沌】「国葬はコスパが良い」安倍元総理をどう評価?民主主義を守る?ひろゆき&成田悠輔&小西洋之

【ひろゆき物議】座り込み抗議の実態は?沖縄基地問題を考える

 

これに限った話ではなく、こういった討論のなかで僕が“わかりにくい”と感じてしまうことの1つに

それが事実なのか、否か

というところがある。

「“思いました”なの?“考えました”なの?“でした”なの?」

と言った感じ。もっと突き詰めると、

結論なに?

というところ。

キャリア2社目の会社の業界と職種柄、つねに「結論は?」ということを意識してきたこともあるけど、とにかく人に主張・提案したい、議論したいときには結論が大事。

『結論ハラスメント=“結ハラ”』だと思うくらいにはその意識を周りから強いられてきたから分かる。

ただ、その結果会話スキルが向上したと思うし、素晴らしい考えを養ったと自信を持っていえる。

 

 

僕たち日本人が結論を伝えるのが下手で、僕も『結ハラ』を受けてしまっていたことにも要因がある。

それは日本語の構造による仕方ないことで、それに大いに影響されていると推測できる。

例えば、

「私は彼女を愛している」

という文章について。

「私は、彼女を、」というところまで言ってもどうなの?状態で、「見る」なのか「叩く」なのか、はたまた暴力的に「蹴る」なのかわからない。“愛している”という動詞がやってこないと結論がわからない。

対して、英語で同じ文章を示すと、

「I love you」

で、「私は、愛している、」という結論が文の冒頭でわかる。

例で短い文章を取り扱ったが、これが長い文章だと複雑になることは想像できると思う。

僕がここまで書いてきた文章の1文1文を見返すと明白だと思う。

ほら、これ(↑)についても。

英語圏の人はディベート大会やミーティングでも端的に事実を伝えられるし、ミーティング時間が短いのも納得する。

という感じで、

日本人は使っている言語の特性上、結論が後に来るから結論が見えにくいよね。

と推測してる。

 

 

僕はこう思ってるけど、この日記を見ている人はどうだろう。

「この議論聞いているけど、ゴール見えないな〜」

「何だこの会話?」

と思う時の問題は何?

『結ハラ』を受けてしまう要因はなに?どんな事が影響していると思う?僕たち日本人だけ?

では、また。

10/21/2022

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