Goghが憧れるんだ、誇りを持ってこの国で生きよう。ただし、|2022/10/23 日記

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10/23/2022

起床は9:00。

納期が迫っている記事の構成と導入パートは昨日のうちに書き終えていたので、ゆったりとした午前中を過ごすことにした。

朝ごはんも少し遅め。

今日の札幌は時々雨が降って、気温も昨日よりも増して寒かった。

 

父と母は常に予定を作って行動するため、僕のその流れに沿うように自分の作業をおこなう。

我が家には平日・土日/祝日という概念がないため、日曜は「休息日」という認識がない。

というのも、父が消防士であり365日24時間交代勤務制で、平日・土日/祝日問わず勤務する生活スタイルであるからだ。

年末年始であっても勤務。お正月やお盆という概念もない。

なので、一般的な会社員の父のように決まった曜日/時間に自宅で顔を合わせることも多くはなかったし、常に変則的な生活だった。

その影響も少しあるのか、曜日を問わず活動することに僕は慣れていると思う。

今日もこうして記事を書いたり、誰かの話を聞きに行ったりしてる。

 

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ゴッホがこっちを向く

我が家のリビングから玄関へ向かう途中にあるショーケースにゴッホの自画像の1つが追加されていた。

オルセーで買ってきたポストカードの1枚で、こちらをじっと見つめている。

ゴッホは自画像をいくつか残しているが、僕はこの自画像が1番好きだ。

背景を水色にして自画像を描いたのはゴッホくらいだろうという無二さ、「星月夜」にあるような鮮やかな青色が渦を巻くようにして塗りたくられた感じがゴッホ作品らしく、印象的ということを踏まえて好きだ。

こんなことを言ってみたが、ゴッホについて知っていることでいえば、

ゴーギャンに片耳をちぎられたこと、

10年の画家人生であること、

有名な作品の多くはアルルにいた15ヶ月間に描いたものであること、

ひまわりはこの世に7枚しかないこと、

日本画に大きく影響を受けていたこと、

それくらい。

そんなもんだ。

※もし、「貴様の知識はしょうもねえな!イキった面でゴッホを語るな!」というゴッホを愛してやまない人がいたら、これから記すことの内容は浅はかなのでぜひブラウザバックしてくださいな

 

—(ブラウザバックポイント)—

 

ただ、何かとゴッホ作品には触れてきている自信はあって。

まず、小学生の図工でやった人生はじめての模写はゴッホの「ひまわり」だったし、

はじめて母に連れて行ってもらった個展はゴッホだった。

なけなしの金でいったフランス/イギリス旅ではオルセーや大英博物館でその作品を観に行った。

コロナ前最後の渡航ではゴッホの自画像を見に行った。

てなわけで何かとご縁のある画家に感じていて、「ゴッホ」という名前に敏感になっている。

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@MoMA

 

彼は騒がしいパリでうずうずしていたときに日本画に感銘をうけ、「アルルには日本のようなモノを感じる」と思ったそう。

それから思い切ってパリから何百キロと離れた南仏のアルルへと拠点を移し、そこで描いた画たちが後に何千万ドルという値がつく画になった。

 

10年も画家をやっている人でも、あるきっかけを掴んで、それを刺激剤にしてまた一から本気で取り組まないといけなくて。そしてやっとこれほど大きなことを成し遂げわけで。(ゴッホはこの成果を知らずに亡くなったけど)

で、この刺激剤に出会ったのもゴッホが大のコレクターであったからであって。

つまりは、花開くための刺激剤を手に入れるにはまず多くの材料を用意して、その多くの中からいかにも違う“あるもの”を見つけなきゃいけないのかと考えた。

やはり、なにごともそうなんだな。

ライターの仕事を数ヶ月続けたからといって、すっと花開くことなんてありゃしないし、ブログは記事を更新していくことではじめて「履歴=Log」になるのであって、簡単に終わりやしないよね。

と、あのパブリックスゾーンから玄関へ向かう途中で考えた。

 

そして、改めて日本はそんなきっかけを与えられる素晴らしい国であって、決して卑下はしたくないと思った。

ただ、おかしな側面もある国だと思うので屈せず、僕たちも必死に活路を見出して挑戦し続けていこうと思った。

そんなわけで今、僕は札幌にいていいのかい?

いや、ダメでしょ。早く東京に戻らなきゃ。

そんな感じの地方人、たくさんいるだろう!!??

10/23/2022

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